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2016年3月

2016年3月25日 (金曜日)

day4 帰路

港近くを散策し、土産を買って、早めの昼食を島寿司で食べた。
島寿司というのは、明治時代ごろから流行ったらしい、醤油ダレにつけた魚をシャリに乗せた寿司で、当時はわさびが手に入らなかったことから洋がらしが代わりに使われている。
父島の島寿司では、亀肉が一貫入った小笠原寿司があり、それを頂いた。
 
4日間島にいると、なんだか会う人の顔が二度以上あっているような感じになる。おそらく島にもっと長くいる人は、だいたい誰が誰か分かってしまうものだろう。
 
復路のおがさわら丸には、小笠原高校の卒業生が内地に進学するために乗船していたらしく、盛大な送迎が行われた。
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送迎の船団が沖まで並走して見送ってくれている
 
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高校生だろうか。応援団のようだ。送迎船がエンジンを緩めるときに、乗員の何人かは海中にダイブして水面から手を振った。
 
 
 
 
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小笠原諸島最終日の太陽は、水平線に沈んだ。旅は終わりを告げた。
 

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2016年3月23日 (水曜日)

day3 一日海遊び

午前中は10人乗りくらいの船で海を行き、ホエールウォッチングをしながら、南島に上陸した。
沖に行くと波が大きく、また船がスピードを出すと波しぶきが激しくて、カメラとスマホはしまったままだったのでホエールウォッチングの写真はない。
しかし、ザトウクジラのブロウ(潮吹き)、フリッパースラップ(胸びれをゆっくり叩く)、テールスラップ(潜るときに尾びれがゆっくり弧を描いて海面に出る)を見ることができた。
船のエンジンはクジラから300m以内ではアイドリングし、100m以内にこちらから近づいてはいけないそうである。クジラの尾びれには個体標識になる白いスジ(傷?)がついている。
できれば甥や姪たちに見せたかった。
南島ではサンゴが隆起した崖を登って絶景を見ることができた。
 
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サメ池と呼ばれる、高度な操船技術が必要な南島の入り口
 
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扇池。ここに降りて絶景を写真に収めた。
 
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向こう岸の父島の崖に赤っぽいハートロックが見える。父島から母島の方向へ向かって気持ちを伝えていると言われている。
 
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扇池の周りの砂浜にたくさん落ちている、数百年前のマイマイの殻。小笠原諸島のマイマイは適応放散して多様で、昔のマイマイには絶滅してしまったものもある。
 
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ウミガメの骨の一部が落ちていた。
 
 
 
 
 
午後は同じ船で兄島のキャベツビーチに行き、ウェットスーツを着てシュノーケリングをした。
自分はフィンをつけるのが初めてで、シュノーケリングも子供の時から数えて二度目くらい。緊張した。
実質泳いでいたのは15分くらいだったろうか。度付きのゴーグル越しに見える海中の熱帯魚とサンゴは新鮮で美しかった。ほんの20cmほど海面下に潜っただけだが、その光景と体験には正直、無邪気に感動した。
船上で昼食の弁当を食べ、風に当たっていると寒くなったので、結局海に入ったのはその一度だけだった。
船の帰り道にホエールウォッチングを試みたが、時間帯のせいか、見ることはできなかった。
しかし、シュノーケルの満足感が残った。
 
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キャベツビーチのサンゴの海。少しでも潜ると、まったく海上とは違う光景が見える。

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2016年3月22日 (火曜日)

day2 一日山歩きツアー

滞在二日目は、一日山の中で自然観察を行った。ガイドは昨日も案内してくれた武田さん。
 
小笠原列島は海中でマグマが噴出して固まった枕状溶岩が、隆起して島となったものである。父島は4800万年前に島が形成されたらしい。
土壌は岩であり、砂浜はサンゴ礁跡である。小笠原諸島は沖縄と違って大陸とつながった事がないので、この島に植物が海を越えてやってくるには、三つの経路が考えられる。
 (1) 種が海の潮で流れ着いた (Wave)
 (2) 種が風で運ばれてきた (Wind)
 (3) 種が鳥に付着したり、フンにまぎれてやってきた (Wild)
このように植物や鳥が小笠原諸島にやってきて、繁殖し、適応放散して多様な固有種となったのが、原生の自然である。
 
初めにやってきたのは、コペペ海岸。ここは昔、カナカ人(いわば海のジプシー)がやってきて住み着いた時の人の名前、コペペさんの名前から来ているそうである。
ここで海岸の植物を観察した。
 
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コペペ海岸。白い砂はサンゴ礁が砂となったものである。
 
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テリハボク(タマナ)。海岸の植生の代表的な木。
 
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タマナの実
 
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ハスノハギリ(ハマギリ)。茎からの葉の付き方が蓮の葉に似ていることから、ハスノハギリと呼ばれる。桐のように柔らかい樹木で、カヌーを作るのに適している。
 
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ハスノハギリの実。ほおずきのような水に浮く中空の浮きの中に、実が隠されている。
 
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モモタマナ(モモノキ)。紅葉している。この落ち葉はフカフカしており、昼にはオカヤドカリの隠れ家となる。
 
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モモタマナの実。コルクのように軽く、おそらく海に浮かんで流されてきたことが分かる。
 
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昼間に寝ていたムラサキオカヤドカリを見つけた
 
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タコノキ。木の途中から下に根を張って、体を支えている。
 
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タコノキについた実。パイナップルみたいだ。二年ほどで熟して、粒が実になって落ちる。
 
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オオハマボウ(カイガンイチビ)。花が一日しかもたないので、イチビと呼ばれる。葉の裏はざらざらしていて白く撥水性になっている。おそらく下から塩水がかかって枯れないようになっているものと思われる。
 
 
 
 
次に二番目のポイントとして、島の南東部の巽道路の奥に車で移動して、そこから山に登り、「乾性低木林」を観察した。
山に入ると色々な生物や植物を見るが、原生の自然が外来種によって侵害されていることが課題となっており、その現状と原生の自然を守るための工夫が見られた。
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ヤギの飛び出しに注意の道路標識。昔、人間が家畜として持ち込んだヤギが野生化して繁殖し、原生林を食い荒らすため、駆除されている。 聟島(ケータ)では、ヤギのせいで島が草原しかなくなってしまい、原生の自然がなくなってしまった。
 
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グリーンアノールという外来種のトカゲ。森の昆虫を食い荒らしてしまう。固有種のトンボなどを絶滅に追いやった犯人と見られている。周りの色に擬態して緑や茶色に変色する。
 
山登りの前に、外来種の種などを持ち込まないように、コロコロローラーでズボンを払い、靴底の泥をかき落とし、さらにプラナリア(固有種のマイマイ・カタツムリを食べてしまう)の幼生を消毒するために靴底に木酢酸をスプレーする。
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岩についた絨毯のようなシラガゴケ
 
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山には戦時に掘られた塹壕が残っていた。写真の石垣は頂上付近の見張り台だったらしい。
 
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岩山山頂の枕状溶岩。海底の溶岩が隆起してできた島であることがよく分かる。
 
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テリハハマボウ(ヤマイチビ)。コペペ海岸で見たカイガンイチビが山に登って、少ない水と土壌で育てるよう葉が小型化している。このように種が別の場所で進化して広がることを、適応放散と言うそうである。
 
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シマウツボ。黄色のフキノトウのようなのがそれである。
 
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外来種のホナガソウ。紫の花はきれいに見えるが、繁殖力が強い。
 
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オオハマセンダングサ。外来種。
 
この他にも、山には松が植えられており。大きく広がった松はその下の固有種の繁殖を阻害してしまうため、駆除の対象となっている。
 
 
 
 
次に昼食を挟んで、桑の木山入り口から連珠谷展望地へ分け入り、「湿性高木林」の観察を行った。谷に細い川が流れており、先ほどの岩山よりも湿性な環境となり、背の高い植物が多く見られる。この山道は、戦時に軍の車両が通行できるようにされていたものである。
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オガサワラビロウ。この葉を使って、ビロウ葺きの屋根などが昔は作られていた。
 
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木性シダ(マルハチ)。上が湿地に生えている所。下は倒木。丸の中に「八」の字に見えるのは、葉が落ちた痕である。
 
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ホソバリュウビンタイ。非常に珍しいそうである。下の緑の石のように見えるもの全体が植物であり、そこから葉が生えている。ヤギが葉を食べたとみられる跡があった。
 
奥に行くと、ガジュマルが絡み合っていた。ガジュマルは元々は原生の植物でない。おそらく戦時に隠れ家にするために植えられた外来種である。ガジュマルの実はイチジクのようになっており、実の中に花が咲く。そのため、特殊な蜂がいない限り、生育範囲は拡大しないそうである。
ガジュマルの下に、朽ちたガスマスクのフィルターが捨てられていた。「昭和」の字が見られ、戦時のものと思われる。
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湿性高木林を押し分けるように茂るガジュマル。
 
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ガジュマルの実
 
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偶然グリーンペペを見つけた。手で光を覆うとほんのりと緑に光っているように見えた。
 
 
 
 
 
最後に、アカガシラカラスバト(絶滅が危惧されているヤマバト)とオガサワラノスリ(絶滅が危惧されている猛禽類)をノヤギやノラネコから守るために、5kmにわたって柵を設置されている、バードサンクチュアリにガイドと共に入った。
川が流れている所以外は乾性低木林で、落ちた木の実を警戒心の無いカラスバトが地面で食べるそうである。
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強い網でできた柵がサンクチュアリを囲むように5kmに渡って設置されている。柵の上部には返しがついており、猫は中に入ることができない。
 
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残念ながら、アカガシラカラスバトとオガサワラノスリには会えなかった。
 
 
 
以上、四か所を周って、島の自然と外来種の問題について考えた。
 
帰り道に電波望遠鏡を見つけた。
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国立天文台の電波望遠鏡で、VERA計画というプロジェクトで、銀河系の地図を作っているそうである。
 
 
 
 
 
この晩は、行きのおがさわら丸で同室になった小笠原高校の教師と一緒に大村付近で飲んだ。
居酒屋ふくちゃんにて。亀刺し、アカバの唐揚げ、トマトスライス、焼き鳥、フライドポテトなどをつまみに、ビールジョッキ4杯ほど。かなり酔った。

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day2 星空観察

僕が小笠原で一番期待していたのは、満天の天の川だった。
しかし、昨日のナイトツアーで月明かりがあまりに明るいのに驚いた。月明かりで影ができることは、都会では気が付かない。月の光で露光した写真集を昔見たが、そんな幻想的な夜の自然を昨日は見ることができた。
ただし、月が明るすぎて星が見えない。1等星くらいまでしか見えず、東京の荒川の河川敷とあまり変わらなかった。
 
翌早朝、月が沈んだ4時半ごろを狙って、カメラと三脚を担いで防波堤に天体観測に出かけた。雲も流れていて、日の出までの5時半に向けてどんどん空が青くなっていったが、かろうじてさそり座の姿をとらえることができた。
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ブログの写真では見にくいかもしれないが、小笠原の星を写真に収めることができて、やや満足である。
 
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すぐに空が白んできた
 
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明け方のライトに浮かぶ、おがさわら丸
 
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夜明けの海岸

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2016年3月21日 (月曜日)

day1 父島(ボニンアイランド)に上陸

父島滞在中にお世話になった宿は、ハートロックヴィレッジというエコツーリズムの「竹ネイチャーアカデミー」と提携しているカフェ兼ロッジだった。太陽光発電や貝殻のパウダーで塗った白壁、温かみのある木の床に裸足で過ごすと僕の気持ちは少しづつほぐれていった。
小笠原エコツーリズムリゾート リンク
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チェックインしたお部屋
 
父島到着が1時間遅れたため、慌ただしくチェックインして、カフェでタコライスをかき込み、すぐに午後の予定の島内散策にマイクロバスで出かけた。案内してくれたのは、自分も今のおがさわら丸で来たという、竹ネイチャーアカデミーの武田さん。
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ハートロックヴィレッジ&カフェの看板
 
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湾岸通り沿いからのカフェの入り口
 
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ハートロックカフェのタコライス。ガジュマルの木陰になっている
 
 
三日月山のウェザーステーションで、海と列島を一望し、時計周りに島内を一周した。
小笠原諸島では、針葉樹のように見えるモクマオウという松の葉のような枝を厚く落とす植物、ガジュマル、ネズミ、ヤギなど、人間が持ち込んだ外来種の侵入が小笠原諸島では問題となっている。現在は世界遺産に登録されており、国立公園内から何かを持ち出すことは、法に触れるらしい。
二見港のある大村のように、人が多く住む村は、国立公園の指定から外れており、ここの海岸にウミガメが産卵にやってくると、街が明るすぎて子亀が彷徨ってしまうため、卵を小笠原海洋センター(亀センター)で保護し、孵化して海に戻している。
しかし一方で、年135匹までの亀漁が免許所有者に許可されていて、昔から亀は動物のいない孤島での貴重なタンパク源として料理されているそうだ。免許の所有者は父島と母島に一名づつしかいない。
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三日月山の中腹から、二見港を望む。停泊している船が、乗ってきたおがさわら丸。コの字型の防波堤の先に小さな灯台があり、青灯台と呼ばれている。
 
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ウェザーステーションから太平洋を展望する。運が良いと遠くにクジラが見えることもある。
 
 
島内を北から東、西へと時計回りに周った。
島に固有の植物であるタコの木は、木の途中から根を下に伸ばして地面に刺し、樹木を支える変わった植物である。ガジュマルともマングローブとも、全く異なった種の植物である。タコノキの実はパイナップルのように見え、二年ほどかけて熟成すると種となって落ちる。下に落ちている種を拾ってみると、クマネズミに穴を開けられていた。
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タコノキ。木の途中から根が下に張って樹木を支えている
 
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落ちていたタコノキの実。外来種のクマネズミにかじられていた。
 
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ハイビスカスが咲いている
 
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島の魚と、島野菜をふんだんに使った、宿の夕食
 
旨い宿での夕飯の後、ナイトツアーに参加した。
参加者の会話を聞いて、ネイチャーガイドの武田さんが瞬時にツアーのコースプランを立てた。この日の狙いは、コウモリ、ヤドカリ、グリーンペペ(光るキノコ)である。
 
亜熱帯農業センターでオガサワラオオコウモリを探した。赤い光であれば、コウモリは驚かないそうで、赤いライトで木の上を探す。ぶら下がっている一羽と、上空の木の間を飛ぶ何羽かを見つけた。洞窟のような場所を想像していたが、実際に足を運んでみると、熱帯の林にいる。洞窟のコウモリのような超音波でのソナーではなく、目視で視認を行っているそうである。
 
次に八ツ瀬川の近くの海岸でムラサキオカヤドカリを見た。天然記念物のこのヤドカリは、アフリカマイマイやバーベキューで捨てられたサザエの殻を借りており、夜行性なのでかなりの数が歩いていた。天然記念物なので、触ったり動かしてはいけない。踏まないように気をつけて歩いた。
月明かりは影ができるほど明るく、星は見えにくいが、月に照らされた幻想的な海岸で、カニやウミガメについて解説を受けた。
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ライトに照らされたムラサキオカヤドカリ。振動に敏感で、驚かすと殻の中に引っ込んでしまう
 
 
最後に、光るキノコ、グリーンぺぺ(ヤコウダケ)を探しに行った。山奥の公道の下を清流が流れている場所があって、そこの湿って朽ちた竹に胞子がついて梅雨時に小さなキノコになるそうだ。武田さんが、真っ暗な溝から拾ってきてくれた竹の棒には白い胞子が薄く内外についており、ライトを消すとほのかに発光しているのが分かった。
 

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2016年3月20日 (日曜日)

day0 おがさわら丸往路

仕事のお休みを頂いて、小笠原諸島の父島に行ってきました。
8時前に竹芝桟橋に着。何冊か持ってきた本のうち、「小笠原クロニクル」を読み始める。沖縄と同じく、船人が漂着した時代から、戦争によるアメリカ世、日本に返還された大和の世の歴史が島民へのインタビューによって綴られている。
 
おがさわら丸に乗ると、2段ベッド二つの四人部屋(一等船室)の客は、僕と若い青年の二人だけだった。話しをしてみると、高校教師として父島に赴任しているそうで、僕の泊まる大村地区の酒場事情を色々教えてくれた。ウミガメを調理する免許所有者が島に二人だけいて、亀料理があるということも初めて知った。鯨は食べてもイルカは食べないように、亀を食べるのには少し抵抗を感じた。
船は東京湾を出て、外洋になると、大きくうねって揺れ始めた。手すりに捕まらないと立っていられない。4階建ての上部まで波しぶきがかかり、大きく傾いてゆれるため、外のデッキはすぐに立ち入り禁止になった。これが約24時間続く。気が遠くなりそうだったが、飲んだ酔い止め薬「アネロン ニスキャップ」が効力抜群で、気分は悪いが吐き気は出なかった。
青黒い外洋は誰の心を反映しているのか。世界の怒りか、葛藤か、地球の葛藤か。うねる黒い波。
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外洋の大きくうねる大波
 
旅行を計画していた時には、満天の星空の下で船は凪いだ海面を滑るはずだった。甘い希望だった。天気予報では明日の着日の天候は曇り時々雨、降水確率60%である。
新島を過ぎた辺りから、すでに携帯の電波は入らない。電話もメールも、SNSもできない。音楽をイヤホンで聴くか、本を読むかである。水やお茶を飲んでばかりいる。思いついたように、この原稿を書いたりしている。
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一等船室はゆとりがある。読書が進む。
 
乗船して15時間くらいの深夜から、少し大きな揺れは収まってきた。寝たり目が覚めたりを繰り返し、朝を迎え曇り空を見た。風を感じたい爽やかな気分だったが、外のデッキにはまだ出られないようだった。 最上階の自販機スペースに朝日が射していたので、窓ガラス越しに写真を撮った。若い女学生が、小さな一眼レフを同様に窓の外に向けていた。雲の間に水色の青空が見えていた。
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波しぶきで濡れた閉め切りのガラス越しに朝日が見えた
 
朝10時前に外のデッキに出られた。ほぼ快晴。波しぶきが飛んできて、カメラは早く撤収した。潮風を浴びて、水平線に地球の曲率を眺めていると、聟島(むこじま)列島から海鳥が魚を獲りに来たのを見つけた。アホウドリは船に並んでしばらくついて来た。
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一夜明けると雨は上がり、晴天がのぞいていた
 
おがさわら丸は一時間遅れで二見港に接岸。陸に立っても、まだ地面が揺れている感じが残った。おか揺れというそうだ。

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2016年3月14日 (月曜日)

シェルパ斉藤の八ヶ岳生活 / シェルパ斉藤 (地球丸)

大学生くらいの頃、実家にあったBE-PALというアウトドア雑誌に連載を載せていた筆者の記事を、最近どこかで読んだ。シェルパ斉藤で検索したら、この本が出てきたので読んでみた。
家族、自然、仲間とのたき火、ログハウスでの犬との生活、旅の合間の執筆。自分にない人間の分厚さを感じる。
 
大学生の頃、実際に長い旅に出ていたら、自分の価値観も変わっていたかもしれない。
実は来週、一週間ほど一人旅をする。自分を見つめなおす、良い機会だ。
 

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2016年3月 7日 (月曜日)

『男はつらいよ』の幸福論 / 名越康文 (日経BP社)

精神科医である著者が、山田洋次監督の「男はつらいよ」全編を見て、寅さんとその人間関係を分析している。
 
映画は2,3話しか見ていないが、妙に親近感がわく寅さん。僕は独身であることと、妹がいること、何回も女性に振られていること、が共通しているだろうか。なんとなく読んでみた。
 
安定と自由、結婚と旅ガラス、故郷と帰郷。その辺りの心を、精神科医がうまく評論している。
 
自分はフーテンではないが、自由だ。と思った。

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2016年3月 6日 (日曜日)

福島県南相馬市に被災地ボランティア

JTBのボランティアバスツアーに申し込んで、福島県南相馬市のボラセンに行ってきました。
2014年の5月以来です。
高速の常磐道が開通していて、朝4時前には道の駅南相馬に着。仮眠を取りました。バスなので、高速走行中もだいぶ寝させてもらっていましたが。
朝一で小高神社に参拝。ここは相馬の野馬追の神事が奉納される場所だそうです。
ボラセンの場所は、諸々の事情で移動していました。駐車場はバスが停車できました。
小高神社に揃って参拝
ボラセンの場所は以前の近くですが、スペースが縮小されてしまいました。
恒例の、松本センター長による朝礼
今日の作業は、田んぼの側溝の泥出しです。この田んぼの持ち主が米を植え始める予定だそうです。南相馬市は今年の4月の避難区域解除を目指しています。新しい家の建築や建売住宅の看板がそこここに見られています。夜間泊まれるようにはなりますが、生活のインフラは徐々に取り戻すといったところでしょう。
側溝泥出しはかなりハードでした。20代から60代まで幅広い参加者の方がいらっしゃいました。
今日はテレビの取材が入っていたようです。
松本センター長に挨拶して帰ってきました。作業は早めに切り上げて、原町ユッサで風呂で泥を流しました。フー。
バスなので、また仮眠しながら帰ってきました。
腰痛いです。おやすみなさい。

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2016年3月 3日 (木曜日)

今日のぐだぐだ

東京マラソンにテニス部の友人が出場し完走したと知って、祝いの気持ちの一方、ジェラシーと情けなさの混じったような言葉にできぬ気持ちが残りました。
じゃあ、今晩走るのか? と問えば、寒いので居酒屋で一杯ひっかけている。
 
「ああ、ダメ人間だぁ」と、酒の抜けない頭で思いました。しかし、翌晩はそれを忘れて結局飲んでいる。今年に入ってから、休肝日は週に一日あるかどうかです。
 
今年から、ギターのレッスンに加えて、テニススクールにも通うつもりでいました。そのため、週三回通っていたギターを、平日と土曜の週二日に変更しています。まだ、テニスが始まらないので、ようするに時間があって使い方がよく分からないのです。
そして就業後に酒を飲んで一日が中断してしまう。
 
明日は朝一に重要な仕事があり、今晩はシラフです。早い時間に一人鍋を作り、主食を食べなかったので、深夜になりカップラーメンを食べてしまおうか迷っています。リンゴを食べたけど満足できない。
 
 
現実的に分析すると、フルマラソンは目標設定として高すぎます。(自分で立てたとはいえ)。フルマラソンのために、やりたいことの中で何を犠牲にできる? と自問すると、今のペースでやりたいことはやりたいです。
あきらめはしませんが、どうして良いか分かりません。
 
親身に話し合えるアドバイザーの必要性を切に感じます。

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