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2016年4月 7日 (木曜日)

働き、歌い、走る。

リフレッシュ休暇の旅行中、色々な人に会ったり本を読んだりして、様々な価値観を大切にしながら生活を営んでいる人々の生き方を見てきた。それぞれに憧れる生き方であって、その人のこだわりを見ると、なんだか自分が若いときに置き忘れてきた、大切なものを活かしているんだなと、羨ましくなる。
と同時に、自分はどう生きるべきかという命題ももちろん考えた。一回の人生を精一杯生きることが大切であると思うのだが、では「精一杯生きる」というのはどういう状態であるのか、ということも考える。
やはり行きついた理想は、命をリレーする、家庭で子供を育てるという生き方であった。しかし、以前にも述べたが、愛の無い結婚はしたくないし、家庭目当てだけの結婚は不幸であるという持論は揺るがなかった。
では、独り者の持ち時間、どう生きていこうか。
そう思いつつも、就業後の大切な持ち時間を、酒を飲んで潰している自分に気づいていた。アル中なのか身の修め方が未熟なのか、ついつい飲み過ぎ、酔い過ぎていた。
 
ギターを習い始めた三年前、好きなことを仕事にできたならと漠然と夢を見た時期もあった。演奏することは楽しく、弾きながら歌うことも楽しい。
しかし、音楽学校の世界の中で何年か過ごすと、ギターで生活の糧を得るには、自分はあまりにも力不足であることが身に染みて分かってきた。一つには手指の不器用さがある。しかし致命的なのは、継続的な努力を続ける根気・基礎胆力が不足しているということだった。限られた時間を練習に充てる機会が少ない。酒を飲んで一日がストップしてしまうことが多くあった。
今年もゴールデンウィーク明けに音楽学校のライブに出場させてもらうのだが、その演目を練習していると、自分のギターとボーカルの下手さ加減に、本当にモヤモヤする。ステージに立つものとしてのルックスが悪いのは、もうフォローのしようもないが仕方ない。「売れたい」という気持ちで音楽をするのではなく、「楽しもう」という気持ちで音楽をしようとは決めているが、それにしても自分で弾き語りの練習をしていて、これをチケットを500円で買ってくれて聞いてくれるお客さんに恥ずかしくないのかという憤りがどこかにあった。自分が楽しければいいや、と開き直ったりもするのだが、やはり下手さ加減にモヤモヤして、ありたい姿とのギャップにため息が絶えないことがいつもあった。
オリジナルソングも作れたらいいなと思いつつ、なかなか制作に取り組む姿勢を取ろうとしていなかった。
 
とにかく、行き詰ってしまったのである。
 
一方で、フルマラソンを完走したいという、意地にも似た夢を捨てられず、しかし体は動かしていない(飲酒)という日々が続いていた。奮起してジョグをしても三日坊主。
体力面の維持のために続いているのは、日常の歩行とたまのテニスくらいだった。テニスは実業団の試合で勝ちを経験したいという思いを持っていて、機会は増やしたがなかなかうまくならない。
やはりテニスの世界でも、一般人のレベルは抜け出せないのだ。
 
そう思う中、テニススクールに週1回通うことにした。会社のテニス部の活動を加えると、週に1回か2回はテニスをできることになる。ギターは週2回レッスンの日取りに収束させた。
昨日はテニススクールでの初めての体験レッスンだった。入会者をクラス分けする、レベルを見る回で体を動かしてきた。
感じたことは、汗をかくことが気持ち良いということ。そして、運営せずにテニスを習うことは、酒を飲む以上に楽しく、無為な時間を過ごすこともないということだった。
テニスを終えて帰宅後に缶ビールを1缶飲んだが、適量と言える。
 
働き、音楽を鳴らし、スポーツを楽しむという、自分の奔放な生き方の途上にいる。
この延長上に、好きなことを仕事にするというプロフェッショナル性はなく、また家庭で子供を育てるという「命のリレー」の視点もない。
しかし、酒に溺れて時間を潰すだけという生活より、「精一杯生きている」気はしている。
 
そんな価値観の中を生きながら、家族や友人と胸襟を開いて本音で話し合えれば、孤独とはなんと輝かしいものなのだろうか。

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自己啓発」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。

好きなことを仕事にするのは幸せなことかもしれません。
でも今は「好きなこと」ではなくなっています。
仕事になった瞬間から、「好き」だけではできないことが多く出てくるからかもしれません。途中からは「収入の手段」として漫画を描くようになりました。
描いていて楽しくないか?といえば楽しいのですが、それは趣味で描いてた頃とはまったく違う楽しさだと思います。

「命のリレー」は私もないので、うーん、子供は産むんだったなーとは思います。今更ですが(笑)
私は、いかに生きるかより、いかに死ぬかの方にウエイトがあります。
終活です。ひとりだといかに周りに迷惑かけずに済ませられるかと考えちゃいます。
まあ、もうひとりだから、好きなことやって暮らそうと思ってるんですけどね。
今は、猫たちが幸せに暮らせるようにするのが勤めと思っています。

ブログの方は放置してますが、別HNで別ブログをやっています。
リアル知り合いの方には心配されそうなので秘密にしてたのですが、雑誌でコラムも描いててカミングアウトしたので、もういいかと。
お母様はきっとご心配なさると思いますのでご内密に(笑)

投稿: ミミカ | 2016年4月23日 (土曜日) 23時14分

>ミミカ
うーん、「いかに死ぬか」ですか。。。
人生の時間は限られているので、「いかに死ぬか」は「いかに生きるか」と同義だと今は思ってます。
自分が介護される前に、母の介護も必要になってくるであろうステージなので、あまり気の利いたことは言えませんが、少し猫をペットホテルに預けて放浪の旅をするのも、新鮮で良いと思いますよ。
生き返ります。

投稿: すうらい | 2016年4月29日 (金曜日) 13時38分

あ、なんか誤解される言い方だったかも(汗)
疲れてるとかそういうんじゃなくて、前向きな「終活」です。
親の介護が終わって、子供がいないと、後はもう「おまけの人生」というか、好きに暮らそう、って感じです。
また、いつ何があるかわからないので、その時に周りが困らないように整理していかなくては…と。親も兄弟も子供もいないと、そこ、けっこう切実に考えますよ。
ちなみに猫を置いて放浪はできません(泣)
日帰りででかけるだけでも離れてると淋しくて淋しくて(私が!)
ずっと家でいちゃいちゃしてたいです。


投稿: ミミカ | 2016年4月29日 (金曜日) 21時34分

>ミミカさん
「おまけの人生」とは誰かが言ってた言葉ですね。確か後期高齢の方の言葉でした。
戦争を生き抜いた先祖からもらった命ですし、卑下せず、世のため人のために最後まで使っていこうと思います。

投稿: すうらい | 2016年4月30日 (土曜日) 04時38分

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